AI情報が話題になればなるほど「AIでなくなる仕事」と
キャッチーな話題で大衆を煽りますが
大方はあっているような、ピントがずれているようなそんなモヤモヤ感です。
少し業態を整理して考えて見ようと思います。
AIによって無くなる仕事「教育」
「教育」と括ると、お前何様なの的なお叱りも受けるとは思いますので
言葉を選びながら慎重に考えていきますww
先ずは「教育」と言う言葉の定義をChatGPTにたずねます。
教育は、知識、スキル、価値観などの情報を伝達し、個人の成長や能力向上を促進するプロセスを指します。
ChatGPTによる解説
これには、学校や大学などの形式的な教育機関での学習だけでなく、家庭やコミュニティ、職場などでの
非形式的な学習も含まれます。教育は、個々の発達や社会の進歩に不可欠な役割を果たし、知識の獲得、
技能の習得、価値観の形成など、さまざまな側面をカバーします。
幅広すぎてやっぱり一言では括れないですね。
- 内容として「知識、スキル、価値観」
- 学び方として「形式的な集合教育、非形式的なそれ以外」
- 対象として「幼児、義務教育、高等教育、専門、社会人、リスキリング」
どの辺がAI化対象になるのか整理が必要です
①ググればわかる様な知識の習得
②経験や失敗からなど実体験から学ぶスキル
③道徳的な価値観(時代で変わるもの、変わらないもの)
この中でAIやテクノロジーで進化すべきは
①ググればわかる様な知識の習得
この部分になるのかも知れません。
全体的な国の制度にまでの言及は避けるとして
それ以外として社会人教育部分については議論の余地はあろうかと思います。
教育方法の進め方の好みは一旦置いておきます。
教育の進め方好み
・オンラインで教育は集中出来る/出来ない
・みんなで学んだ方が良い/悪い
この教育の進め方「リアルな集合教育orオンライン教育論」
どっちが良い悪い議論では無く、学ぶ内容や求める結果に対して変わって来ます。
例えば私がたまに行わせていただく「〇〇研修会」「〇〇セミナー」
現状は当然、リアルで行っていますが本当にリアルが必要なのか?
「オンライン形式」や「一流講師の一方通行形式」でも良いのではと感じます。
感じますと言うのは講師の立場です。では受講する側としてはどうでしょうか?
オンラインで熱が伝わるのか?一方通行で理解度が深まるのか?
この辺が危惧されますが、そもそも論として
知識を学ぶだけを考えた場合「熱量は必要なのか?」「習得度の確認は?」
こんな議論になり、私自身も答えを持ち合わせておりません。
ただひとつ言える事は
「選択肢のひとつとしては有っても良い」この程度の回答になります。
そこを踏まえて、知識を付けるための教育施策についてとポイントを絞ります。
ダラダラ長い動画を見せられても凹みます。その上確認評価テストなどあると辟易です。
「知識を学ぶ」とは自己研鑽として、他者(会社)から求められてによっても違って来ますが。
やはり自身の興味の有無によってモチベは大きく変わって来ます。
やる気(前向き)な人とやらされ感(後向き)でも結果は変わって来ます。
現状(私自身の経験)としては、短尺YouTune的な素材です(TikTok含む)
著名な専門家監修による目的を絞った短尺動画です。
これをマイクロラーニングと呼ぶそうです。
ここまで明確に整理出来れば、ここからはAIの出番です。
・学ぶ項目のカテゴリをAIで作成
・カテゴリ単位の動画で短尺映像化
・隙間時間で学ぶ
まあ、この辺は今でもあるのであまり目新しくは無いですが
ググればわかる様な内容を、AIで選んでもらい丁寧に解説してもらう
これこそが対話型AIの真骨頂かも知れません。
結果が見える教育から進むのであれば、資格取得などはAIとの親和性も高そうです。