もう何十年になるだろうか?
実家の父の年賀状作りは私の冬の風物詩です。
当時は今では懐かしの「プリントゴッコ」を駆使し
寒い部屋で、印刷はがきを乾かしながら並べていたのを思いだします。
今ではパソコンに代替わりをしています。

特に昔の人間なので礼儀や挨拶には厳格な人で
今でも毎年100枚近くの年賀状を作成(と言うより私が印刷)している。
高齢の友人も多いので、毎年何通かは減ってきている。

今年も年末の行事を手伝いに帰省した際
父から「今年で年賀状をやめようと思っている」
私からはさすがに言い出せなかったが父からの言葉

何の切っ掛けだったかと言うと
新聞の切り抜き記事を見せてくれた

「年賀状のやめ方伝授:後悔しない『年賀状終活』のすすめ
と言う記事

特に義理堅い人は、自分からは中々やめられないらしい(まさに我が家)
そこで、記事の中では年賀状の終活方法をアドバイスしています。

最後となる年賀状には、一言 今までの感謝の言葉を添える
「高齢のため、本年をもちまして年始のご挨拶を控えさせていただく事にしました。」
「今後とも変わらぬお付き合いをお願い致します」

この様な一例が掲載しており、この文章を引用して最後の年賀状作りを行った。

時代は変わっても義理人情は変わってはだめだと認識をしているが
年賀状などはまさに変換期に来ているのだと改めて感じます。

私自身も数年前から「年賀状をきっぱり止めました」
出す側の気持ちと、もらう側の気持ちのギャップに悩んでの結論です。

ある時期から「来た人にだけ出しましょう」に代わり数枚にして
その後、「来た人に出す」と言う行為は先方も「来たから来年も」と言う気持ちになり
何時しか、相手の気持ちを考えない一方通行の行為に思えてならなかったからです。

ある人は
「来たから出す」「出したのに来ない」
「年に一回だから」「生存確認」
と色々な想いは有ると思います。

それが相手を慮る(おもんばかる)日本人の義理となり
自分から止める事が出来ずに、年末を「面倒な時期」と考える人も大多数いるようです。

誰かが(悪者では無いですが)言ってくれるのを待っていたようです。
そんな事を思いながら父との共同作業も終活を迎えました。

私自身の何か感慨深い日では有りました。