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いま、なんとなく考えていることを言語化しておきます。
「コメント経済学」これは勝手な造語ですが・・・経済学なんて表現するとなんとなくそれっぽいでしょう。

なぜ、こんな事を考えているかと言いますと、なんとなくSNSが目指すゴール?がここにあるのかな?
と思っています。

これは時代背景にも由来しますがインターネットが反映して約50年らしいです、Webが誕生したのが30年前。
・ARPANET(アーパネット)とUNIXが生まれたのは1969年
・World Wide Webの概念の誕生が1989年

インターネットを通じて、誰もが発信出来る世界が出来てSNSを通じて双方向のコミュニケーションが広がっています。

SNSはどこに向かうだろうか?

こんなどうでも良いことをいつも考えています。そんな際に、今徹底的に深堀している中に
「コミュニティ」と言うものを意識しています。

コミュニティとは
共同体とは、同じ地域に居住して利害を共にし、政治・経済・風俗などにおいて深く結びついている人々の
集まりのこと。日本語では「地域共同体」が「地域社会」をも意味し得うるため、転じて国際的な連帯や
インターネット上の集まりなども「共同体」あるいは「コミュニティ」と呼ばれる。

この「コミュニティ」の中で、中小企業向けの「まちの総務コミュニティ」を検討中です。
この「コミュニティ」を考える中でもう少し「SNS時代のコミュニティ」を再定義しております。

前置きが長くなりましたが・・・
これが表題の「コメント経済学」に繋がっていきます。「経済学」は置いておいて・・・
「コメント」に特化します。

私自身様々なSNS投稿やブログを見る際に、コメントも一緒に見るようにしています。この「コメント」
にはそれぞれに「人」が見えてきます。SNS時代、1次情報提供者より2次情報提供者に価値があり
1次情報は単なる問題提起であり、2次情報のコメントにこそ本質価値があると考えます。

一次提供情報に関して
異論、反論、共感、感想、良いね、シェア・・・ここに、人の熱感、肌感が出てきます。

自分の感性と同じ人に出会えるとなんだか嬉しいです。例えば、今流行りの「TikTok」ヒマがあれば
なんとなく見ています。それぞれの投稿を見て、「ああだ、こうだ」とテレビを見て突っ込み入れて
いるような感覚で「TikTok」投稿に突っ込みを思い立った時に「コメント欄」を見てみます。
そうすると「私の思った突っ込み」と同じような感覚で「突っ込んでいる」コメントを見かけると
フムフム・・っていう感覚になります。

同じような感性の持ち主がいて、なんだか安心したり共感性を持ちます。逆の場合もあり私の感性には
無い「コメント」の場合は割と勉強になったり単なる炎上目的の煽りや、内容の薄い「コメント」の場合
はこんな人もいるのか

この「コメント」について凄く深いものがあるな・・と感じていて。このことをここしばらく頭の中で
思考しています。ここを追求していくと、何かビジネス的な匂いにならないかと

とりとめのないまとまらない話ですが、もう少し深堀しながら
ヒントは「コメントとAI融合」「コミュニティ醸成」を考えていきます。