メタバースについて調べているうちに、何かこれは日本のお家芸になりえる可能性や
バブル崩壊後の「失われた30年」の復活のキーワードになるのかもしれないと感じ論を進めます。

日本の失われた30年を救うかもしれない3つのポイント

  • 半導体の栄枯盛衰から読み解く日本の復活の鍵
  • インドのイビツな文化からの脱却が日本復活の鍵
  • 多様性を認めなかった島国独特の文化が日本復活の鍵

半導体の栄枯盛衰から読み解く日本の復活の鍵

かつては日の丸半導体として世界を牽引していた日本の半導体産業
半導体産業もアナログ時代からデジタル化が進み、要素技術力よりも設備技術にシフトして行き
日本が強かった技術力よりも、日本が弱かった資本力に流れが変わり
いつしか資本投資出来る国や会社が大きくシェアを取り日本は衰退して今があります。

しかし今後の「メタバースの世界」は日本が弱かった資本力は不要で
日本が強かった要素技術力が生きる世界と予想出来ます。
グローバル展開力は無理でも、掘り下げた発想力や応用力は世界と勝負出来ると信じています。

例を挙げると、日本はグローバルなスマホの分野では世界から遅れを取りましたが
一昔前の携帯電話(ガラケー)では、日本独自の文化圏を作り
ガラパゴス化と揶揄はされましたが、この辺のこだわりの国民性が
水平方向よりも機能を重視した深さ方向の強みになり
その結果TVゲームのコンテンツやアニメなどが強い事にもつながっているのではと
勝手に想定してしまいます。(薄い分析で恐縮です)

しかし、今後のメタバースの世界ではプラットフォームも重要ですが
その中のコンテンツアイディア(エンタメからビジネス、生活まで)は
日本のお家芸にはなるのでは無いかと考えます。

インドのイビツな制度文化からの変革ヒントが日本復活の鍵

この事例がそのまま当てはまるかは少し怪しいが、なんとなくそんな感じだよね的に述べてみます
インドの歴史を紐解くとカースト制度と言う身分制度がありました。
現在は憲法で禁じられていますが、その風習は根強く残っているそうです。

カースト制度とは、バラモン教によってつくられ、ヒンズー教に受け継がれた身分制度です。大きくは、バラモン(司祭階級)、クシャトリア(王侯・武士階級)、バイシャ(庶民階級)、シュードラ(隷属民)の4つに分けられます。しかし、シュードラの下には、カーストにも組み込まれないアウトカースト(不可触民)が存在します。

Wikipedia

そんな風習の中で起きたIT革命、身分に関係なく学んで努力したものが巨額の富を得て
制度身分を逆転したと言うお話は有名ですが
それもあってインドは世界的にもIT国家と言われております。

インドの長い歴史から見ての比較は少し強引ですが
これを日本に置き換えた場合
かつては世界的に見ても豊かな日本も「失われた30年」
世界から遠く引き離れて今では低迷を甘んじております。

しかし、基本は勤勉な国民性、新たな革新発想は出来ないにしても
あるもの『核』を手にした場合はその周りの修飾物の応用展開力発想はまだまだ強いと考えます。

メタバースと言うプラットフォームの『核』を手にした場合
この中の掘り下げたプロダクト(コンテンツ)の開発はまさにお家芸になるのではと言う結論です。
言うなれば、世界はプラットフォーマー側の覇権争いを行っているうちに
日本はその中で活用する、ここのプロダクトを展開してこの分野のNo1を取れるのではと言う考えです。
例を見て下さい、まさに日本のお家芸のゲーム業界は既にアバターとしての仮想空間の中で物語が進んでいます。
すにで色々な素地やノウハウ、突き詰めたアイディアは世界に勝負できるのではと思います。

インドがITと言う『核』を武器に世界のIT国家となったように
日本はメタバースと言う『核』をベースにプロダクトで躍進出来るのではと思います。

新規の新しいモノ0→1から作るよりも、1→100にするのは絶対に強いはずです。
もちろんモノマネ応用力(オマージュ)も得意ですから絶対に日本はこの分野では
飛び抜けて行けると確信しています。

もう一つ忘れてはならいのは、日本はメーカーとしては世界から遅れていますが
メーカー製品の中の部品(プロダクト)では世界シュアのNo1が多くあります。
悲しいかな部品の中身なので知名度(会社名)はメジャーではないですが影の立役者として無くてはならない基礎技術は高いと思っています。

メタやマイクロソフトと言うビッグネームがメタバースの巨人になるのは
誰も疑いようがないと思いますが、この中で活躍するプロダクト(関連商品や製品)分野では世界上位を狙えると思います。

多様性を認めなかった島国独特の文化が日本復活の鍵

これにつきましても、別のブログでも書きましたが
現在のSDGsやLGBTなど「多様性」という言葉がひとり歩きしていますが
世界の「多様性」と日本がイメージする綺麗事の「多様性」には乖離があります。

しかし、この綺麗事の「多様性」の考え方が、まさにこの「メタバースの世界」では
重要なキーワードになるのではと感じています。
日本は一見福祉国家と思われている節はありますが
言葉での「多様性」と言いながらも「多様性」を線引きしている感があり
まだまだフラットな世界とはかけ離れた「福祉後進国」の気がしています。
しかしながら真面目な国民性として、表明的にも綺麗事を言うのも日本人の特色かと

そんな国民性から、世界に先駆けて「メタバースの世界の中だけでは多様性を認めましょう」このような発想になりそうな気がします。
メタバースの中「仮想空間」では平等の世界、まさにフラットな世界が展開出来て
障がい者と健常者、LGBTの人々、これらが仮想空間の中では
同一のアバターになって、多様性では無く平等制が生まれるのではと思います。

メタバースの世界では綺麗事の「多様性」と言ってボーダーラインを引くことなく
自然にフラットな世界が実現出来るので、今までは福祉後進国であった日本の舵取りは世界の誰よりも早いのではと思います。

世界は元々フラットであったために、この考え方をメタバースには求めずに
日本は逆にメタバースに盛り込む事で自分達の思いが腑に落ちるのではと

ーPRー