少し煽り口調の表題になりましたが、結構核心を突いていると感じます。
道徳を学び島国としての単一民族で「和」を重んじる国民性として
「同調圧力」とか「護送船団方式」がベースにあり、新たな革新、変革を良しとしない文化がある。
これは憲法ひとつを取ってもそうですし、政治の世界でも国際社会の中においても
多くの方々は積極的変革は求めてはいない様子です。
今更「変わらなくては」と言われても…と言うのがある年代からの思いです。
そんな空気感を漂わせた平成の時代を経て、気付けば冠たる日本繁栄も過去の栄光となって今があります。
そんな日本も「ゆでガエル理論」の渦中におり、まだまだふんわり状態で眺めている感じです。
そこに来て冒頭の「DX」で変わらなくては…の空気感です。
極論としては結構無理ゲーな気がしています。
自分が変わらなくても他人が代わりにやってくれる
戦時になっても誰かが守ってくれるだろう…的な発想です。
この「護送船団方式」を重んじる国民性と「同調圧力」の強い民族に果たして
DXを旗印にデジタル化推進出来るのか?
が興味深いテーマです。
同調圧力とは集団において、少数意見を持つ人に対して
周囲の多くの人と同じように考え行動するよう、暗黙のうちに強制すること。
護送船団方式とは、行政手法の一つ。軍事戦術として用いられた「護送船団」が、船団の中で最も速度の遅い船に速度を合わせ、全体が統制を確保しつつ進んでいくことになぞらえて、特定の業界において経営体力・競争力に最も欠ける事業者(企業)が落伍することなく存続していけるよう、行政官庁がその許認可権限などを駆使して行政指導などにより業界全体をコントロールしていくことを指す。
ゆでガエル理論とは「カエルは、いきなり熱湯に入れると驚いて逃げ出すが、常温の水に入れて徐々に水温を上げていくと逃げ出すタイミングを失い、最後には死んでしまう…」
そうなりますと、民主主義国家の日本は国の方向性としては良いと思いますが
かたやビジネスの世界ではこのゆでガエル状態の民主主義思想が良いのか?世界と勝負できるのか?
そう問われると「No」と言わざる得ないのが状況であると思います。
今、最も必要なのは中途半端な同調圧力を論破出来る、指導者に委ねるしか方法は無いと思います。
多くの同調圧力のスタートは何らかの小さな事から、
徐々に過剰になりそれがいつしか多数派になって今があります。
これを小さな少数派が「違う違う」と騒いだ所でさざなみ程度で異分子と流されます。
これがまさに今起きている現象です。
特効薬は難しいですが、やはりそうなると「声の大きな少数派」の出現に期待するしかありません。
多少危険な可能性もありますが、大臣や国の指導者クラスの立場の「推進派」による強権発動です。
ビジネス界や大きな転換期を迎える時には民主的では無く
独裁的に進めて行くしか方法は無いと感じます。(一種のカンフル剤)
国民性として馴染まないですが、混沌とした現在ですから今まさに進めなくてならない状況かと感じます。
お仕事で例をあげますと
若手「このお仕事は無駄なので廃止しませんか?」
中堅担当「これは決まりだから廃止出来ない」
若手「……」
誰が決めた決まりなのか?原理原則論はなく前例主義
これを変えられるのは会社で言えば経営者、国で言えば大臣や総理クラス。
担当者間に議論させても絶対に変革など出来ません。
担当は批判の矢面に立つのが嫌なのです…
そうなると無責任ですが利害の無い第三者か力のある立場の方
(全てがひれ伏す印籠を持った方)に期待するしか無いと思います。
自らは「変わりたくないけど変わらなくちゃ」とは思っている総意の空気感を
変革出来る指導者の出現を呑気に待っている状況です。
ーPRー